与謝野晶子と蓄音機

またも不思議な題名かもしれません。

与謝野晶子と蓄音機。

まず与謝野晶子について。

与謝野晶子(Wikipediaより)}
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E9%87%8E%E6%99%B6%E5%AD%90

雑誌明星の中心的存在で、
君死にたまふことなかれ
という言葉で知られます。

この記事を参考にすると、不倫の末、
略奪婚に至るなど、
当時としてはセンセーショナルかもしれません。

学生時代国語の先生が、
その昔は短歌や文芸の雑誌が大人気で、
国語教師としては当時の文壇の賑わいが憧れであると
熱く語っておられます。

与謝野晶子の出生は1878年

ここで視点を大きく変えます。

蓄音機(Wikipediaより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%84%E9%9F%B3%E6%A9%9F

蓄音機の登場は与謝野晶子の出生とほぼ同時期の1877年。

当時は非常に高価であったことが容易に想定でき、
SP盤の広がりからし与謝野晶子が活躍した時期は、
まだ庶民にとって蓄音機は高嶺の花であったことが想定できます。

写本
https://blog.goo.ne.jp/a350-1000/e/ce3ff43560340695dfd86e1bf4a1c257

当時の複製、配布技術とコストとその普及状況から、
音声ではなく文芸雑誌がその最先端であったことが想定できます。

つまり当時の文豪は、椎名林檎さんやあいみょんさんや藤井風さんなど
今をときめく音楽の世界のアーティストと同じ扱いかもしれません。

そう見えてしまいます。